こんにちはヨシオです。4月頭は2月みたいに寒かったですが、ようやく春日和になり桜も美しいですね。音楽も好きですが、こうした四季を感じられることは日本に生まれてよかったなと最近思うこの頃です。春ですねえ。
さて、このブログを始めて最近私は悩んでおりました。あらためて、人に教えるのが下手くそなことに。なんでだろうと考えを巡らせた結論としては。
自分が音楽を感覚として捉えて、ほとんど感覚で演奏しているという事実。
ありえないかもしれませんが、音楽理論ほとんど知りません。いや、正確には知ろうとしているのです。感覚となれでキメ時とか演奏するタイプなので、逆に決めごとが多いオーケストラなどには向いていないでしょう。
ただ、感覚から音楽に入る人もいるはずなので、その人たちにとっても自分みたいな例をみてセッションとか演奏してもいいんですと応援できたらというのもこめてブログを続けている反面。正当な音楽知識を知らないことは回り道であるのも自分の経験を通して事実ですので、レッスンをおすすめしてきました。音楽理論は全部は必要じゃないと思うんです。
重要なのは必要な時にその情報だけを選択して判断できることが重要です。
逆に物知りになるだけで実践できなければ全く意味がない。
バランスが大事だと思うのですね。
そして、音を理解するということは自分の現状をよく理解できていることがセッションに参加したり演奏する際にモチベーションの影響が大きく出ると思います。
うーん、うーん、うーんこまった…。としていたら、あら久しぶり。
大学時代ジャズ研時代の友人テルヲが遊びに来ました。今日はテルヲが何か話したいそうです。
音楽理論はそもそも必要なのか?
初めまして。よしおの心の友、テルヲと申します。
よしおと同じく、趣味でジャズをやっている44歳です。
基本的にピアノを弾いています。
よしおとは学生時代からの長い付き合いになります。
私はアマチュアで音楽を楽しんでいる身ですが、某音楽大学の作曲科に通っていました。
学んでいたのはクラシック音楽で、いわゆる「現代音楽」を作曲していました。
まあ、すごい難解な、不協和音バリバリのやつです。
音楽的に私とよしおの異なる点は、よしおが大学生になってから音楽を始め、ほとんど独学で音楽を続けてきた、のに対し、私は幼少期より専門家に師事して系統だった音楽教育を受けてきたという点です。
別に音大を出たから偉いとかいうことではありません。
ただ、お金と時間とエネルギーを、よしおより多く、音楽に費やしてきました。
というわけで、私は音楽理論に関してはかなり精通しています。
楽器の演奏技能も、そこそこあります。子どもの時からたっぷりピアノを練習してきましたので。
私の専門はクラシックですが、ジャズやロック、ポップスなどの理論にも親しんできました。
よしおはジャズの理論について、ほとんど理解しておらず、ほとんど感性だけを頼りにして、音楽活動を続けています。
まあ、それはそれで良いと思います。
よしおは充分に音楽を楽しんでいますし、音楽を愛してもいます。
音楽を通じて、私、テルヲは初めとする、多くの仲間も得ました。
よしおの人生は音楽によって、より豊かなものになっています。
そしてよしおはいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
はい、ですから、話はこれで終わりです・・・
って、これでは表題の件について何も触れていませんね。
偉そうで申し訳ないですが、これからウンチクを語りたいと思います。
・上手くなりたいか? そもそも上手くなるとは?
音楽をやっていて、それだけで純粋に楽しいのであれば、それ以上、何も必要ではありません。
ただ、多くの人は何か物事に取り組んでいると、それについて上手くなりたい、上達したいという欲が湧いてくることがあると思います。
上手くなりたい時、どうしたら良いでしょうか?
いやいやその前に、そもそも、上手くなるとは、どういうことでしょうか?
才能とか運ってあるんですよ
私は多くのプロ、アマチュアのジャズミュージシャンと知り合ってきましたが、初心者で感性の赴くままにただ音楽活動をしていて、あれよあれよというまにうまくなり、結果としてプロで飯が食えるようになってしまう人がいます。
こういった人は非常にレアなのですが、確かにいます。
こういう人にはあまり理論は必要ありません。
要するに、天才か、大強運の持ち主なんですね。
しかし残念なことに、私を初めとする多くの人は才能にも運にも恵まれていないのが、現実なんです。
私たち凡人は、どうしたら良いのでしょうか?
一生、下手なまま生きていくしかないのでしょうか?
上手くなるには!
少し話を戻します。
上手くなるとはどういうことでしょうか?
薄ぼんやりとしているにせよ、なんとなく各自が持っている、理想のイメージに近づいていくという事が「上手くなる」という事が一つの答えだと私は思います。
じゃあ、そのためにはどうしたら良いのでしょうか?
前人未到の地を、自ら道を切り開いて歩いて行かねばならないのでしょうか?
真っ暗闇の星もない夜道を、灯りもなく進んでいかねばならないのでしょうか?
いやいやそんなことは、実はありません。
過去に誰かが、ある程度までは道を切り開いていてくれたり、
夜道に街灯を設置してくれたりしているのです。
その誰かは、チャーリー・パーカーだったり、
マイルス・デイヴィスだったり、
ジョン・コルトレーンだったりするのです!
その偉人たちの演奏を分析し、理解し、模倣することで、凡人も「上手くなる」事が出来るのです!
さらにラッキーなことに、その偉人たちの通った道を、整地し、道標をつけ、地図まで作ってくれた多くの追随者たちまでいるのです!
音楽理論とはなんなのか?
長い話は佳境に入ってきました!
「上手くなる」ための道は既に偉人たちによって、切り開かれています。
しかも多くの追随者たちによって整地され、道標も地図も用意されているのです。夜道には灯りすらあるのです。
さあ、結論です。
音楽理論とは、つまるところ凡人が「上手になる」ために利用できる、音楽的な地図であり、道標であるのです。
とまあ、私は考えています。
違う意見の人もいるでしょう。それは認めます。
ここまで読んでくれたあなたにお礼を言います。
ありがとうございました。
さてさて、あなたはどう思いますか?
地図や道標を利用しますか? それとも自ら道を切り開いていきますか?
私は前者を選択しました。ヨシオは後者をなし崩しのうちに選択していながら、時々、地図も盗み見ています(笑)
どちらを選択しても、道は険しいです。
あなたが音楽の才能か大強運の持ち主でない限り、三日でわかるとか、猿でもわかるとか、楽してわかるとか、そういうことはありえません!
あなたが私と同じく凡人なら、たくさんの良い音楽を聴き、たくさんの優れた勉強し、たくさんの質の高い練習をバランス良くする事が「上手くなる」ためには必要です。
最後のしめと予告
最後にお詫びをします。
表題の件に答えはありません。
答えはあなたが出してください(笑)
今後は、どうして音楽理論がわからないのか? あるいはどうして難しいのか? いやいや、そもそも音楽理論がわかるってどういう事なのか? どういう状態になったらわかったと言えるのか? について書きたいと思いますが、書かないかもしれません。テルヲは気まぐれなので…
ん、終わり?
あ、いってしまったーおーいテルヲー。なんという勝手な奴だ。
でも、そうそうそれが言いたかったのですよ。あは。
自分は回り道とかで時間を費やしすぎてしまったのです。
生きている時間には限りがありますから。
人生とすると他のやるべきことも平行して行いながら進めないと両方を望む形に到達することは難しいでしょう。
音楽理論は、先人たちが試行錯誤して苦労した結果を集約してバイブルです。
それは未経験でも学ぶことで最初から効率よく身に着けられる。
ちなみに、西洋音楽では楽譜という形で演奏上の共通認識がございました。
が、邦楽では合わせて演奏する際に自分の確認するための楽譜はございましたが、他楽器と共通認識をするための楽譜は存在しておりません。ホントのセッションですね。口伝で音律など伝わっているのもあるらしいですし。そうとうな年月がかかっていると思います。
数々のポップスでも邦楽器が参加できるのは、楽譜で共通認識がしやすくなっがのがありますが。こうした楽譜を用いた音楽理論を知ることは非常に時間も節約できて音楽的な幅も広がると思うのでやはり、必要だと思いました。
まとめ
- 音楽理論が必要なければとくにやらなくてもいい
- 音楽の幅を広げたい、より楽しみたいときに音楽理論は必要になってくる
- 道先案内を音楽理論はしてくれ、そしてうまくなるために時間と手間を節約できる
でした。次回は音の座標を知る。「度数」についてお話したいと思います。
それでは( ´∀` )