こんにちは、ヨシオです。お久しぶりです。
前回レクチャーコンサートの話を書いてからまただいぶ間が空いてしまいました。しばらく気が抜けてしまいました。すみません。
私はイタリアのジャズ演奏が大好きでして、レクチャーコンサートでのその後の演奏も素晴らしい演奏でした。
自分の勝手な感想ですが、メロディが地中海の澄み渡る青空というような。
シンプルでいてそれでいて真っすぐに伝わるような、悲哀とかでない陽気なイタリアの風土と音楽演奏が楽しくてたまらないという気持ちが伝わるような気がしました。聞いていて清々しいジャズの演奏は、アメリカでのジャズとは別のイタリアで独自のジャズ文化が育まれた結果のような気がします。
レクチャーコンサートで教えていただいたプロが演奏において考えていたことは。音をよく聞き、反応して自分の出したい音を出せるように即座に解釈できるように音を解釈できるように意識していると話しました。
別の機会でイタリアジャズとか音楽が好きなので書いてみたいと思います。
さて、今回はモダンジャズにおいて1945年にニューヨーク52番街でチャーリー・パーカー達がビーバップを開花した頃。日本のジャズミュージシャンはどうされていたのでしょうか?
ということで、日本のジャズの始まりとビーバップ全盛期の日本のジャズ演奏家について興味がわいたので、しばらく書いてみたいと思います。
1945年日本、敗戦の年
こちらは2004年に上映された、坂本順治監督の『この世の果て クラブ進駐軍』という映画です。見たことありますか?
出典:https://www.youtube.com/watch?v=Rmvc4ytYObQ
萩原聖人、オダギリジョー等主演して話題になりました。
1945年という年は太平洋戦争で日本が敗戦している年であります。戦争で焼け野原になり、何もかも無くなってしまった時代で音楽どころでなかった時代。どうやってその時代の人はジャズを演奏していたのでしょうか?
日本のジャズを知った一冊の本
以前、一冊の面白い本を手にしました。新日本新書 本多俊夫著の『ジャズ』という本でして(シンプルでまたいいですね)アメリカジャズの発祥と日本のジャズの発展について1976年に書かれた本です。そして1970年における時事と日本のミュージシャンの動きが抱えていて非常に興味深かったです。
本多俊夫さんは1929年生まれのジャズ評論家の方です。2002年に亡くなられております。多くのジャズに関する著作を残されております。息子さんはサクソフォン奏者で活躍されている本多俊之さんです。
ジャズは舶来品の希少な富裕層のステータス
本の解説によると、日本最古のジャズバンドと呼ばれているバンドは1926年大正15年に三井物産の創設者益田氏のお孫さんたちで結成されたとあります。

出典:本多俊夫 著 新日本新書『ジャズ』より 三井物産創設者益田氏のお孫さんたちで作られたジャズバンド1926年大正15年
黒人の苦しい生活の中で生まれたブルース、ジャズがアメリカの黒人の大衆間で広がっていったのに対して、日本に輸入されたジャズは裕福な政財界の御曹司たちにより広がっていった…とあります。
当時の誰もがやれない最先端の音楽を演奏できるためのものであったと解説しております。
明治に入り、社交界で鹿鳴館で行われたような社交ダンスのような、いわゆるステータスとしての位置づけが当初のジャズだったのではないかと本多さんは解説しております。舶来品の希少な音楽を楽しむ特権階級がたしなむ音楽だったというわけです。
で、大正時代から入ったジャズ。ジャズを演奏するにあたり三つの大きな流れが生まれたと本多さんは解説しております。
学生バンド
こちらは、前述した三井物産の創設者益田氏のお孫さん達などで結成された学生バンド。後に音楽的な情報、内容を伝える役割を持つそうです。
根っからのミュージシャン
初期の日本のジャズトランぺッターで活躍された方で南里文雄さんという方がいらっしゃいます。南里さんは日本のサッチモと呼ばれた方でして、初期の日本ジャズで活躍されたミュージシャンです。1975年に亡くなられました。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=dUM-RTT3sWE
セントルイス・ブルース ニューハード+南里文雄より
功績から『南里文雄賞』と呼ばれる賞は、日本ジャズの賞で過去1年間を通じて日本ジャズ界の発展に最も大きく貢献した人に対して贈られました。
南里さんは14歳の大正13年に少年ブラスバンドに入ってのちプロ音楽家として活躍された方がいらっしゃいました。主に彼らはダンスホール、無声映画の映画館で演奏する楽士、トーキー、レコード、ラジオ放送等スタジオの演奏で活躍されました。彼らの多くはは昭和に入り戦争が激化すると激しい弾圧を受けたそうです。
戦後旧軍楽隊からの流れ
日本のジャズビックバンドの草分けである、原信夫&シャープス&フラッツので有名な原信夫さんは、戦時中は海軍軍楽隊に所属しており、昭和の敗戦後に占領軍GHQの慰問としてジャズ演奏の世界に入っております。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=79vtRZSLvfw
SING,SING,SING 原信夫とシャープス&フラッツ
2010年に引退されましたが、カッコいいですね。こんなジャズマンでありたいと尊敬しております。あ、すみません脱線しました。
これら、三つの演奏家の流れが戦後の日本ジャズに影響を与えます。ジャズのみならず日本の歌謡曲、J-POPにおいて影響を与えていると調べてみると思うと実に興味深く感じました。
さて、大正時代から舶来品の音楽で入ったジャズですが、昭和に入り戦争が激化していく中で取り締まりの対象となっていく音楽とされていきます。
そんな、時代の中でジャズはどのような扱いだったのでしょうか?引き続き興味深いのでしらべてみます。おつきあいください。
今日はこの辺で。それでは。( ´∀` )