落語とジャズ

こんにちは、ヨシオでです。

昨日は寒かったですが今日は晴れでよかった。桜見れるかな?

昨日は落語、立川談春の独演会に行きました。

最近落語を聞くのが好きになりまして。

以前から聞きたく半年前から楽しみにしておりました。

実に楽しかったです。三時間があっという間でした。

噺家というのは、たった一人で大勢のお客さんのまで物語を成立させ見ているものの頭の中に舞台を鮮明に描かせて登場人物が生き生きと動かすことができるのですから。芸というのは本当にすごいものだと感心しました。とても楽しかったです。

同じにするのもおこがましいので恐縮ですが、落語を見ていると音楽の演奏でも応用できるような要素が多くあります。私は常々思うのは日常生活と音楽は常につながっていると思っております。

例えば、落語でいう会話ですが、

生意気な小僧

年老いた母親

頓珍漢な問答をしてしまう弥太郎

長屋の分別ある高齢の大家

これを一人でそれぞれのしぐさや特徴を表現して複数登場させたりしているんですね。

聞いていて会話として成立させているのは、

落ち着いたり激昂したりは声音、つまり音程の上げ下げで表現されておりますが、会話の速度や間。つまりリズムで表現しているということなんですね。

男女性別、感情、年齢別を会話の間で表現しさらに長いセリフを激昂して今までの速度の3倍のスピ事案ードで話す。リズム感が躍動してより頭の中で情景が思い浮かぶわけですね。

また場面場面でその状況の説明が的確かつテンポがよいので、頭の中にすんなり入れるのですけど。これも音楽の演奏において共通している共通しております。

サックスやトランペットの場合は、ピアノやギターなどの一度に複数音をならせる複音楽器と異なり、一つの音しかだせない単音楽器です。(やり方によっては出せますがそこははしょります。)

複音が出せるということは和音、ハーモニーを表現できるということなのですが。であれば単音楽器はどうやってそれらを表現しているのでしょうか?

それは和音をアルペジオで、経過音が耳に残像として残すことで聞く者の頭の中にハーモニーを鳴らすことで表現していると思います。

簡単に言うとピアノでCメジャーを引く場合はその和音、コードであるドミソシを一度に押さえて和音鳴らしますよね?ジャーンと。

サックスやトランペットの場合はそれをアルペジオでその和音を吹くと、バラバラー一気に吹くことで聞いている人は「あCメジャーだ」と想像できます。

※サックス、トランペットは移調楽器のためDメジャーです。移調楽器についてはググってくださいね。(-_-;)ボキャブラリーが少なくうまく説明できず恐縮です。(-_-;)

落語で情景や状況説明につながるところが、ジャズ演奏の場合アドリブに共通することは。

聞いているものに「?」とさせずに、頭にコードを鳴らさせてそのうえで「ここは自分はこのように感じる」と主張できるのが、よいアドリブではないかなと思うのでした。また、それにより意図的に聞いている人の予想を裏切ることも演奏の選択肢が増えると思います。

落語とジャズやっていることは、共通しております。

人のしぐさや行動を観察し模倣することも、それらを表現するために行っていることも。そう考えると普段自分だけ悩んでいるようなこともきっと共通のなやみなんだろうなと思います。演奏やプライベートで悩んだときはぜひ落語を聞きに行くことをおすすめします。

江戸時代の人も今の人も結構人間付き合いとか悩んでいることは今も昔もかわりませんから。( ´∀` )

落語の立川談志が『落語は人間の業の肯定である』と言ったといいます。

人間の喜怒哀楽の部分もひっくるめて芸にしている至言として好きな言葉ですが。

音楽でもブルースだって過酷な労働の環境の中、労働の苦痛から自分を慰めるためのものだったり。ジャズのスタンダード曲も男女の別れの未練だったり喜びだったり。(ほとんど未練の別れの歌だけと)

民謡の田植え歌も元は単調な労働作業を楽しくやるために工夫されて生まれた音楽だったりなので、音楽も人間の業から生まれたものだと思っております。

なわけで、ジャズセッションで慣れているスタンダードの歌詞を、

一度確認してみてからセッションに演奏してみてください。かならず印象が変わりますし、自分なりの解釈でやってみようと考えた時より演奏が面白くなりますから。( ´∀` )

では、今日はこの辺で。

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