戦争中―敗戦、日本のジャズ、音楽はどのような存在だったのか?

こんにちはヨシオです。まったり続けていこうと思います。

前回につづいて日本のジャズについて書いてみたいと思います。

戦争中-退廃音楽としてジャズ廃される

改めて半世紀以上前に日本とアメリカは戦争をしておりました。今じゃ大統領とゴルフ、晩餐会と友好アピールしておりますが。日米の戦争が激化し、日本の敗色が濃厚だった昭和18年-1943年に『音楽之友』より次のような記事が残されております。

退廃音楽を追放―決戦下の日本に米英の退廃音楽が普及している事は驚くべきことで、開戦一年余、いまだにジャズのひどいレコードがバーや喫茶店で演奏されている現状にかんがみ、内務省と情報局で協議の結果、此の程ジャズレコードを中心とする約一千種のレコードを演奏不適当のものと発表、各方面の自発的停止を要望した(昭和18年-1943年に『音楽之友』より)

とあります。または

敵国の楽譜廃棄―破棄の標準となるものは以下のごときものである。

①単行の米英曲譜はジャズたると何たるとを問わず、一切破棄する。

②曲集で大部分が米英音楽のものは、曲集全部を破棄する。

③曲集中一部米英音楽が含まれているものは、ジャズの場合は切り取るか、(アドリブ)または使用不可能なまでに抹消する。ジャズ以外の曲譜の場合は『敵国の楽曲につき演奏を禁ず』の朱印を捺したうえで販売してもよい。(「音楽文化新聞」昭和18年―1943年より)

 とあり、ジャズは“適正音楽”として全面禁止弾圧されます。あらためて活字で読むと、ギャグなのか?というぐらい呆れるというか現代感覚でいうと考えられない愚かな政策ですが昭和18年―1945年に大真面目に報じられております。

こちらからは、ジャズだけでなくクラシックも対象に入っていたようですね。

こうした動きは、音楽に限らず全般的に娯楽など規制が入っていたようです。

有名なのは野球のストライク→よし!アウト→ダメ!カタカナ用語を全面的に日本語にしたり。芸能では例えば落語で、男女の噺を禁じ、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった禁演落語五十三種があったようですね…。好きな音楽も楽しみも規制されるというのほんとに嫌な時代ですね。

話は脱線しましたが、当時のアメリカでもジャズのイメージは人種差別も含めた悪魔の音楽とよばれたようで淫蕩なイメージもあったようですが、敵国をそう評している音楽、ジャズが特に退廃音楽と日本で認識されていたのも背景にあるように思えます。

そんなわけで、当時活躍していたジャズミュージシャンたちは弾圧されます。

当時の警視庁の要請で当時の日本音楽文化協会は以下のお触れを出しております。

①ジャズバンド、ハワイアンバンド編成は禁止

②タンゴ型やそれに類する編成を変更

③特殊弱音機は絶対に使用させないこと

④収容2500以下の場所での演奏はマイクロフォンの使用を禁ずる

ここでいう③はトランペット、トロンボーンにつけるミュートのことです。

あらためて、活字にすると本当にくだらない御触れですね。まあ、昨今でもダンス規制法なる悪法が出てましたけど…。

演奏中、上映中、憲兵など見回りにきてこうしたルールを守っているか確認していたそうです。たぶん、銀座の大通りでブルーノートスケールばりばりにアドリブしていたら憲兵にボコボコにされちゃうんでしょうね。

そんなわけで、当時の現役バリバリのジャズミュージシャンの方は弾圧されます。おそらく当局にもマークされていたでしょう。

官憲の目を盗んでアドリブ演奏する

前回でも紹介しました、戦中バリバリのジャズミュージシャンであったトランぺッターの南郷文雄さん。『ジャズ』で本田俊夫さんは戦中どうされていたのか南郷さんに伺ったお話を紹介しております。

そこはジャズミュージシャンはたくましく演奏していたようですね。

敵国、アメリカ、イギリス以外の曲…当時同盟国だったイタリアとドイツの曲を演奏し、官憲がいないスキにアドリブ、即興演奏して官憲が注意すると通常の曲(メロディ)を演奏して煙に巻いていたようです。

そうした制限が強かった中で繰り出されるアドリブ聞いてみたいものですね。

ジャズには音楽を通じて自由に感じられる要素が一番の魅力と思っております。

戦争末期、大学生も徴兵され学徒動員により中には特攻隊員となり亡くなられた方もいらっしゃいます。

その中の辞世の句で以下のような句があります。

アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き
ジャズ恋し早く平和が来れば良い

きっと外に漏れないように、隠し持っていたジャズレコードなどを蓄音機にかけてそっと耳に当てて聞いていたのでしょう…。自由に音楽聞けない時代というのは想像し難いですがとても苦痛であるのはわかる気がします。

平和な時代なら、普通にジャズを楽しむ若者だった様子が垣間見えるこの句はあらためて切ないですね。ほんとうに戦争は残酷ですね。

そして、日本は敗戦を迎え終戦となります。

日本の終戦処理として、全国に主にアメリカを中心とする占領軍である進駐軍が進駐し、戦争を生き延びた多くの日本の音楽家たちが進駐軍に音楽の慰問に訪れ、戦後の音楽キャリアを築いていきます。

それはまたの話に。

おやすみなさい。

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