分数コード(1) CM7/G#

<はじめに>

ヨシヲの心の友、テルヲです。
分数コードを知りたい、という話が身近で幾つかあったので、何回かにわけて説明することにしました。
分数コードといっても、ほとんどのことは、理論書を読めば済んでしまうので、ここではあんまり知られていなさそうなことを書きます。

 

知られていなさそう、ということは、ほとんど使う機会もない、ということなんですが、教養、読み物だと思って、最後までお付き合いいただければ幸いです。

脱線著しく、独断と偏見に満ちています。そして、長い記事になります。

 

<前置き1>

分数コードというと、何だか難しくてよくわからない、あるいはよくわからないけどカッコよさそう、あこがれる、ということになりがちです。

よくわからないなら、使わないほうが無難です。超カッコいいぜ! 絶対に使いこなしたい! という方にはお勧めします。

 

<前置き2>

分数コードについては、未だに統一された記述方法がないようです。

便宜上、/ を使って記述します。 
今回は、分母は和音でなく、単音とします。

 

<前置き3>

前置きが続きますが、分数コードは概ね以下のような考え方で使用されます。

  • コードとコードを二つ以上積み重ねる(大体二つ。三つ以上だと12音弾いてしまうことになりかねません。)
  • 短音ベース音にコードを一つか複数、積み重ねる(大体一つ)
  • ベース以外の音を保続させ、ベースノートだけを移動させる(大体は2度進行、その場合はクリシェと呼ばれる形態のものが多いです。)
  • コードの構成音を一部省略する(主に第三音)
  • コードを転回形として使用する(主に第二転回形か第四転回形)

重複部分も多いですが、ざっと、このような感じで使われることが多いと思います。何言ってやがるんだ、意味わかんねぇよ! って感じですが、まあこういう感じなんだ、ということでとりあえずはスルーしてください。

おいおい、どこかで説明することにします。

 

<前置き4>

とても残念で酷い話です。

分数コードに統一された黄金律のような概念は、ないと思います。

そんなものは聞いたことも見たこともありません。多くの人に聞きましたが、同じ答えしかありませんでした。

一つ一つのケースを、ゆっくり時間をかけてかみ砕いて消化して、自分の頭の中にある引き出しに、入れていくしかないです。

コードやスケールなどの音楽理論の全てがそうであるように「ノウハウ」とか「チップス」の塊なんです。

多くのケースを頭の引き出しにしっかり入れた時、はじめて分数コードが有機的に頭の中でつながって、柔軟に使いこなせる日が来るようになるかも知れません。

 

<本題>

ようやく本題です。

今回のお話は、

CM7#5/G#

です。

CはⅠ、GはⅤ、に置き換えてください。

いくらでもご理解しやすいように移調してください。便宜上、Cと表記しているだけです。

いきなりG#、つまり、Ⅴ#かよ! 使う場面ないじゃないか! と言われても困ります。最初から使う場面はほとんどない、と明記してあるので許してください。

 

分数コードと言っても、これは第二転回形に過ぎないので、分数コードの色合いはとても薄いです。

ただ、使っているコードシンボルに #5 が含まれているのでかなり特殊なコードです。C augにM7という、色々な解釈ができうるコードです。E aug add5 /G# とか、G# aug #9 などと解釈も可能なのです。G# aug #9 だと、分数コード表記が不要なのに、直感的には理解不能になるという、大惨事が発生します。

 

はい、脱線です。

分数コード表記が不要なコードを分数コードとして解説するのは、最初から破綻しているだろ! とつっこみたくなる気持ちはわかります。

しかし、音楽理論自体の定義が、まるっきり破綻しているのです。

音楽のような感性の話を、なるべく数字を使って体系化しよう、というのが、まず大破綻しています。感性を数字に置き換えるのは、まあ、無理な話でしょう。

なので、もう少し、話に付き合っていただけないでしょうか。音楽理論を学ぶためには、この構造的な矛盾を常に抱きつつ、音楽理論と付き合っていく姿勢が必要だと思っています。

 

いきなり本題に戻ります。

しかも、この辺が、この話の肝です。

第二転回形をわざわざ分数コードとして使用する意味を説明します。

 

  • Ⅴ(今回のケースではⅤ#)をベースノートにすることで、浮遊感が得られる
  • 基本形だとⅠとⅤ#に増5度音程が発生するが、第二転回形にすると、Ⅴ#とⅠの音程が減4度になるので、増音程を避けることができる

 

今では、特に浮遊感が重視されます。浮遊感というキーワードは分数コードの理論においては、頻出します。覚えておいて損はないです。
増音程を避ける、というのは、今では、ほとんど誰も気にしていません。

 

はい、肝はここまででおしまいです。

 

あとは、読み飛ばして、<実際に弾いてみましょう!> から、<おしまい>、までざっと読んでくださっても結構です。

 

以下は長過ぎる、説明というか、ほとんどエッセイになります。

理論のレッスンを受け、先生に質問しまくると、このような説明がついてくると思います。

 

<浮遊感について>

和音から受ける、浮遊感というのは、個人の感覚の問題です。基本形より浮遊感があって新鮮で気持ちがいいと言う人もいれば、全然よくわからないと言う人もいれば、ひっくり返ったような不安定で落ち着かなくて気持ち悪い響き、と言う人もいます。全く好みの問題です。

浮遊感というのはバリエーションの問題です。いつも使えばいいというものでもないです。

安定した、どっしり感が欲しい場合もあります。

耳を鍛えていけば、安定感と浮遊感のどちらが必要かどうかを、使い分けられるようになります。なると良いですね。なると信じましょう。

 

前述しましたが、分数コードを使用するにあたって、コードを転回形にする、という手続きをとるのは、浮遊感や不安定感を求めた結果、生まれたようです。

音楽的に偉い人たちが、音の実験を繰り広げた結果、浮遊感という新鮮な響きを得るには第二転回形を使えば良いんだ、という一つの答えを導き出したようです。

しかし、第二転回形による効果はかなりインパクトが弱く、響きの不安定さの方が目立つことが多いので、あまり使用されていないのも事実です。

今回のコード、CM7#5/G# は、Ⅴ# というかなり特殊な構造を持っているので、インパクトが強くなるのです。

 

<増音程を避ける>

増音程を避ける、というのは今時、ほとんど誰も気にしません。

昔は、増音程はタブーとされていました。和声や厳格対位法を学ぶときは、徹底的に増音程は弾圧されます。減音程も、嫌われますが、増音程を避けるためには許してもらえます。

増音程はなかなかキワドイ音程でピッチも取りづらく、減音程も似たようなものなんですが、減音程の方が多少まし、ということなんです。

ただ、これは昔の話です。長い時間かけて、音楽は変化してきました。現代人は、生まれた時から、過激なほどの音の要素(リズム、ハーモニー、メロディーなど)を吸収しているので、聴くだけなら、増音程を不自然、気持ち悪い、などと感じる人はほとんどいません。

凄く音感に恵まれて生まれついて来たり、音感の訓練を若い時期から徹底的に受けた人は、増音程に何かを感じることができます。

 

<第二転回形について タブーの時代>

第二転回形も長らく、タブーでした。

コードの第5音をベース音にすると、ルートとの間に、完全4度が発生します。

完全4度は、古典的な音程の考え方では、協和音にあたるのですが、長い事、徹底的に嫌われました。

脱線ですが、CM7の第3音と第7音も、第7音をベース音にすると、完全4度が発生するため、これも徹底的に嫌われました。

Cm7の第3音と第7音も同じ理由でアウトとされてました。

ベース音との間に発生する完全4度は、猛烈に弾圧されました。

鍵盤楽器があったら、確認することをお勧めします。音域はどこでもいいのですが、鍵盤の中央付近が無難でしょう。ド、ファなどと弾いてみて、何か感じられますか?

何となく、硬くて、人工的な響きがするような気がしないでしょうか?
昔の3和音と4和音はドミナント7thだけ、転調は近親帳に一回してまた元に戻るだけ、というような世界の人には、かなりキワドイ音程に聴こえたそうです。

 

<第二転回形について 使われるまで>

意図的に第二転回形を使うようになったのは、クラシック音楽でも20世紀に入ってからです。それでも最初のうちは、かなり遠慮して使っていました。

前のコードから、ベース音を予備しておき、それをタイで繋いだりして使い始めました。なかなか苦労してたみたいです。

 

以下、脱線です。

ジャズの人しか見ないこのブログに、このような記述は不適切ですが、ストラビンスキーの「春の祭典」辺りでも、いきなり第二転回形、は使ってないと思います。スコアは全部読み込んでないので、見落としがあるはずですが、そのくらい使われていないのは確かです。

 

さらに大脱線です。

「春の祭典」でクラシック音楽は終わった、というようなことを言う人もいます。クラシックの世界でやれることは、この曲でやりつくした、ということらしいです。あとは、不毛な世界が続くだけだった、ということなんだと思います。言い過ぎだとは思いますが、個人的には否定しきれない部分もあると思います。

ジャズのハーモニーで耳が肥えている人なら、春の祭典は普通に聴けます。むしろ古典的にさえ聴こえるかもしれません。

あまり長い曲でもないので、是非とも、聴いてみることをお勧めします。

ただ、ストラビンスキーは70年代まで長生きしました。
そういうわけで、まだパブリックドメインにはなっておらず、版権の所有者はサブスクも拒否しているようです。

Youtubeには音源がありますが、まあ、著作権法によると、完全に非合法ですね。

なので、リンクは貼れません。

是非、ご自分で検索してみてください。

 

続けて、脱線です。

12音技法だと、もうコード、和音、なんて概念はないのですが、たまたまアクシデントで発生することはあり得ます。ただ、和音や音階を全否定しているような作曲技法なので、作曲者は和音らしい響きがアクシデントでも生じてしまったら、さっさと譜面を破り捨ててしまいます。

自由に使うようになったのは、第二次世界大戦後のポストモダンと呼ばれる人たち以降です。それでもあんまり効果が薄いので、意図的に使いまくる人はいません。

 

ひたすら脱線です。

19世紀以前にも、第二転回形が発生しています。主に2つのパターンです。

・ドミナントのⅤの前にⅠの第二転回形を置く

・ドミナントペダルがベース音で発生した場合

Ⅰの第二転回形はⅤに対する、拡大解釈された倚音になります。

Ⅰの第二転回形が、ベースから、G-E-Cと配置された場合、次のⅤで、ベースから、G-D-Bと進行するとき、EはDに、CはBに、2度下降します。

めんどくさいですが、立ち止まって考えてみてください。一回理解すれば、あとは永遠に納得できます。

ベースのG音は保続され、上の2声部は2度下降するのです。倚音が二つ重なる、二重倚音、拡大解釈された倚音、ということです。

 

ドミナントペダルで発生する第二転回形について説明します。

これだと、そもそも表記が分数コードになるので説明も要らないかもしれませんが、ちょっと書いておきます。

キーがCだとドミナントペダルのペダル音はドミナントのG音になります。上のコードがCになったとき、ベース音が第5音のGになるので、結果的に第二転回形が発生します。C/Gとなるわけです。

 

<実際に弾いてみよう!>

長い解説が終わりまして、ようやく実践編です。

やっと譜面の登場です。

鍵盤楽器が手元にあったら弾いてみましょう。絶対に弾いてください。

ここまで我慢してこの記事を読んだのなら、弾かないと残念なことになります。

自分で繰り返し、繰り返し、何度も和音の響きを確かめないと頭の引き出しには入りません。

 

構成音だけで、響きが強烈なので、テンションノートは必要ないです。9thを入れることも考えましたが、そうすると、ルートのC、9thのD、3thのEと2度で3音がぶつかり合い、クラスターになってしまうので、何だかよくわからなくなってしまいます。9thを入れてもいいんですが、個人的には使い方が困難なので、好みではありません。

CかEを省くと、コードの特性が失われてしましまいます。

Cは7thのBと短2度でぶつかるので、この刺激的な響きが得られるので、Cを省くのはもったいないです。

Eを省くのもこの響きの特性が失われてしまいます。Ⅴ#なので、ⅢであるE音の重要性はかなり薄まりますが、それでも省くのは抵抗があります。

9thをオクターブ上げると、全体をオープンボイシングにする必要がでてくるので、片手で鍵盤を押さえるのが、不可能になります。

9thを入れれば、可能性は広がるのですが、今のところ、良い解決策は見つかっていません。

#11thはどうも、アヴォイドノートっぽい気がします。かなりカオス感が漂ってきます。

13thもカオス感がします。#11thほどではないですが、使うのは抵抗があります。

 

右手パートはおまけなんですが、このコードの響きを理解するには、有効です。

右手はいくらでもフェイクしてみてください。左手を鳴らして、ピアノなら、ダンパーペダルを思いっきり踏み込んだ状態で、勿体ぶって弾くのがとても効果的です。

分数コードのネタを全否定してしまうことになりかねませんが、ベース音として、C3(真ん中のド)の2オクターブ下のド(C1です)、も弾いてみましょう。

分数コードでない、このコードの本来の安定した響きが聴こえます。

比べてみて、どう感じますか?

分数コードじゃねぇ方が、良いよ! と言う人もいると思います。それは好みの問題なので、自分の耳を信じるべきです。

私は用途に応じて、使い分けています。どちらも価値があり、個性が違うので、一刀両断はできません。

 

鍵盤楽器で弾くのが前提とはいえ、譜例の、G#のベース音が、普通のベース音域より高いと思いませんか?

これは、ベースの音域が高いからこそ、軽い、有効な響きが得られると、私は感じています。これを1オクターブ下げてしまったら、かなり台無しとだと思うのですが。

 

右手パートは、1オクターブ上で弾く方が、実は好きです。ただ、譜面が見にくくなるので、あえて、譜例のように記載しました。

そうすると、さらに軽い響きになり、浮遊感が際立つと思いませんか?

 

クドクドと書き連ねましたが、まだ手垢があまりついていないコードなので、評価が定まっていないということです。いろいろな可能性を突き詰めてみましょう。偉い人たちですら、まだまだ使いあぐねているのです。

 

<実際に使ってみましょう!>

さて、コードの響きがわかったとして、じゃあ一体どうやって使うか、ということです。

使用するスケールを記載します。

あんまり使わない言葉ですが、CM7#5/G#だと、Cリディアン#5、というスケール、モードになります。(恥ずかしい話ですが、スケールとモードの概念は未だに使い分けることができていません。理屈はわかるんですが、音楽的に意味は理解できていません。)

Aメロディックマイナースケール、G#オルタードスケール、の平行スケールになります。

 

脱線します。

もうお気づきだと思いますが、このスケールはダイアトニックスケールには含まれません。ダイアトニックスケールを下敷きに、20世紀に入ってから作られた、人工的なスケールです。

何度も前述しましたが、このコードが、特殊、と言う根拠はここにあります。

コードとスケールとどちらが先に立つのかは、言えないのですが、このコードもダイヤトニックコード下敷きに、人工的に作られたものであり、対応するこのスケールもまた、同じような経緯をたどって作られたものなのです。

ダイアトニックスケールも人が作ったものと言えなくもないですが、自然界から発見したという側面もあります。そのため、人工的なスケールとは言いきれないのです。

この話題は、いつかまた取り上げたいと思いますが、今回の説明では割愛します。

このコードやスケールが、特殊だと言える、ということは覚えておいてください。

 

さてさて、先ほどの左手のボイシングに合わせて、右手で上記スケールをモーダルに弾きまくれば、それだけで、もっともらしい雰囲気がでます。

ピアノなら、右ペダルはガンガン使いましょう。

たったこれだけで、コンテンポラリージャズ、の世界観が垣間見えませんか?

 

ちょっとした使用制限があります。

#11thがアヴォイドっぽく聴こえる、と前述しましたが、その点は注意が必要かもしれません。

CM7#5/G#においては、F#はどうしたもんかな? ということです。

ここまで特殊なコードで、構成音だけでも破綻寸前の緊張感のある響きなので、どうせ誰にもわからないのですが、気になる人は気にしてください。

私も#11thに解決するのは、意図してやりたいとき以外は、きついかなぁ、と思いますが、今のところ、落としどころが見つかっていません。

 

参考ですが、ATN出版から出ている、マーク・レヴィン著、ザ・ジャズ・セオリー(一応、amazonへのリンクです。契約してないので、リンクをたどっても、ヨシヲにはお金が落ちませんのでご安心ください。)、というジャズの理論書には分数コードではない、CM7#5を使用する際の問題点として、上記のような問題を指摘しています。

 

マーク・レヴィンは、私よりはかなりアヴォイドの問題をデリケートに扱っています。プロのピアニストでバークリーの先生でもあるので、私などの言うことより、信憑性が高いです。

 

個人的に、つきつめて考えていくと、そもそも最初からG#にする根拠が怪しいし、Aも相当な問題児なのです。元々Gだったのを、変異させるために変異させてG#にしちゃった、感もあります。こうやって考えていくと、こんなコードはあり得ねぇよ! ということになってしまいます。

問題点はきりなくあります。この辺はまったく、個人の好みで判断してください。

全ての音楽理論は理論に過ぎません。ちゃんと、実際に検証して、感性で判断してください。

 

<おしまい>

今回の CM7#5/G# はセッションで定番の黒本1巻では見たことがありません。分数コードでない、CM7#5、までは使われています。
2巻は全部に目を通したわけではないのですが、たぶん使用されていないと思います。

今回のネタは、セッションにおいては、知っていても使う場面はまずないのですが、少しだけ音楽的な素養は着くと思います。

作編曲をする方や、即興でソロピアノを弾く方には、一つ引き出しが増えると思います。ソロピアノの演奏ではかなり使えると思います。

作曲の場面では、商業音楽のゲームやアニソンでも使われているコードです。

 

今回は、元々ハードルの高いはずの分数コードの中でも、さらにハードルが高すぎて、しかも、使用頻度も皆無に近いものを取り上げてしまいました。

ここまで辛抱してくださった方がいらっしゃいましたら、お礼の言葉もございません。

ただ、この今回の話を我慢していただけたなら、他の分数コードはちょろいものです。

次回以降の分数コードの話は、もうちょっと使える内容にします。

 

理論に対する啓蒙的な話題に触れます。

前述しましたが、音楽理論は存在自体が構造的に破綻しています。

しかし、理論は必要な面もあります。全否定はできません。現存しているわけですから、やっぱり必要なんだと思います。不必要なものがピタゴラス以来、継承され続けているとは考えにくいです。

個人的な考えですが、音楽だけでなく、あらゆる理論や学問は、灯り、コンパス、地図などの、重要な道具なんじゃないかと思っています。

これらがない場合は、真っ暗闇の世界を、地図も道具もなく、手探りで闇雲に進んで行かなくてはなりません。

こんな状態では、目的地にたどりつける保証は全くありません。自分の感性、感覚だけを頼るしかない、ということになってしまいます。

闇夜でも目が見えるとか、気配だけで周囲の物事を把握できるとか、人知を超えるような能力を持っている天才ならまだしも、凡人では相当、厳しいことになってしまします。

凡人は音楽にしろ、他の何にしろ、何かを身に着けたり、成し遂げたりできないのでしょうか?

しかし、偉大な先人たちが、少しずつですが、素晴らしい道具を残してくれました。これを利用しない手はありません。

ですが、それに振り回されず、自分の力と感性でしっかり確認して判断を下してください。先人のたどった道を一歩ずつ踏みしめて、いつかは、さらにその先を目指してみましょう。そして、新しい道具や地図を後世に残してください。その成果物である音楽を、どこかで演奏したり、ネットの世界に作品を残したりすればいいのです。

そのためには、自分の感性を第一に、第二に理論を頼りに、音楽的な力をコツコツと磨くことが必要です。感性を信じ、理論をガイドにして、練習や訓練をつむ必要があります。理論がわからない、と言う人が結構いますが、それは練習や訓練の仕方を知らない、と言うケースが多いと感じます。

改めまして、今回は最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

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